「尾鷲ヒノキ」を扱うこと


尾鷲ヒノキをご存知でしょうか?

日本三大人工美林に数えられる尾鷲の森で人の手によって育てられているヒノキです。

遠くは江戸時代から。
400年以上人の手によって守られ、
育てられている木材です。

私が伝えたいことは、
日本にたくさんある森の中でも尾鷲ヒノキには歴史があって単なる山ではないということなんです。

人の手が入り続けている。

それは100年周期で、
100年後の森のことを考えてその時の施業者が判断して木の苗を植えているんです。

素敵で胸にグッとくるんです。
今の自分たちのためではなくて、未来の森のために考えて今行動していることに。

材木業界に入って20年。
製材業界であった私は、市場などで切られた木はよく目にしていたのですが山に行く機会は地元以外にはあまりなく、2年前に機会を得て尾鷲の森を見に行くことになりました。

初めて尾鷲の森を見たとき
「こんなに美しい森があるのか」と感動しました。
涙がでるかと、、というと「うそつけ!」と思われるかもしれませんが。。本当です。

これまで、間伐材を使おうとか、森を良くするために木を使おうと心に決めて10数年取り組んできたことが尾鷲の森を見たときに
「この森はずっと残りつづけていくのだ」
という気持ちに変わったのが事実です。

根っこは変わっていませんが、衝撃でした。

下草が光り輝き
何百年と人の目が行き届き続けた森は、今までに見たこともない素晴らしい景色でした。

私が生まれ育った近くの山の一コマです。
暗くてうっそうとしていて、
木は倒れ、
歩いていくこともままなりません。

このような景色があちこちに見られ、
日本の山はこのようなところがほとんどなんです。

私はこの状況を打開するには「日本の木をたくさん使わなければいけない」、そう思いながら木材に携わってきました。

それはこれからも変わりませんが、
尾鷲の森と出会ったことで残していかなければいけない森と活用を考えなければいけない森があることに改めて気づかされました。

第2次大戦後に日本全国に植えられた多くの杉やヒノキは、
平和を願ったおじいちゃんやおばあちゃんの想いが込められていることは言うまでもありません。

昔はどこの森も尾鷲のように人の手が入り、管理されてきたのですから。

でも、、輸入された木材に押され、森に手が入らなくなり荒れ果てた森になっていることは揺るがない事実です。
生活様式も変わりました。
日本のすべての森が昔みたいになることは困難です。

時代にそぐわない。

それもありますし、そうなんだと思います。

今まで杉を中心に提案してきた「THE TABLE」を尾鷲ヒノキで製作しました。
左の画像は古民家改装の店舗に納品させていただいたものです。
隣の柱は百年近く古民家を支えてきたヒノキの柱です。
いずれ隣の柱のように経年変化で色を変え、活き続けていきます。


「尾鷲ヒノキを扱うこと」

それはこれからの森を考えたときに持続可能である材料を適切に扱うという、私たち日本人にとってあたりまえのことなんだと考えるようになりました。
尾鷲ヒノキは育つ土壌として恵まれた環境で、年輪が緻密で油分を多く含み、強度も他地方のものよりも強いことが証明された素敵な材料なんです。

生活の中にあふれている木製品
欲しいものは何でも手に入るこの時代が悪いとは思っていません。便利です!

そんな生活に、ちょっと意味のあるモノの一つが
「尾鷲ヒノキ」だと考えています。